ONE VOICE

笑っていれば、イイコトあるよ

* ONE LOVE + ONE LIFE + ONE VOICE *

Don't love me for who I am.
Love me for who I can be,

and I'll be that person for you.
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AO 2007 SF
R.Federer def. A.Roddick
6-4 6-0 6-2

・・・何それ。



・・・私もなかなかに、がっくし。撃沈

クーヨンは、なんだったのであろうか。

夢破れたうえ国もなければ山河もない。
しかし辞められないのが苦しいAndyファンなのであります。

・・・。
いつかきっと。
今度こそ。
(懲りない)
Andyファンは打たれ強いのよ、誰かさんのせいで。
Andy Roddick | 14:53 | comments(0) | trackbacks(0)
硫黄島からの手紙
人間の社会には思想の潮流が2つある。
生命以上の価値が存在する、という説と生命に勝るものはない、という説だ。
人は戦いを始める時は前者を口実にし、戦いをやめる時は後者を理由にする
−田中芳樹・銀河英雄伝説

良くも悪くも矛盾だらけの映画。
そして戦争って矛盾だらけのものなんだと、改めて実感しました。

家族のためにこそ戦う。
そして家族のためにこそ死にたくない。
戦場に出てなお答えなど出ることの無い矛盾。

そして銃口は向けられ、引き金は引かれる。
彼らは死に、何がどうなるということも無く、日本はただ敗北した。
何も変わらず、何も残らず、まるで意味も意義も無い。全くもって何も無い。
その虚無感をさらに募らせる、届くはずのない手紙。

しかしその手紙が届けられてしまうことによって、
虚無感に意味がもたらされてしまうというのが大いなる矛盾。

私はこの硫黄島の話に、最初と最後なんか無くてよかったんじゃないかと実は思う。
60年の時を超えた手紙など届かなかったほうがよかったと思う。
ニノがいうように、これを見たあとに残るものは、消えない傷と悲しみだけで、あとには何もない。
・・・であるべきだと思うんです。
でもね、だからこそ手紙は届いちゃいけないんだよ。
60年前のパン屋が経験した悲劇は、誰にも伝わらなかった。
彼の書いた手紙は、誰にも届かなかった。
栗林中将の描いたヒヨコは、誰にも見られなかった。
彼らの願いも想いも祈りも、誰にも聞こえなかった。
それでこそ、戦争で死んでしまった彼らの、本当の虚無感と絶望感と孤独感に少しでも近づくんじゃないかって、思うんです。
だから最初と最後はいらなかったと思う。
それでこそ加瀬くんの存在とニノの涙に、意味がもっと出てきたと思うんだけどな。

せっかくの映画という手段を使っているんだから、あんなおセンチな発掘シーンなんて要らないよ。
クリント自分で言ってたじゃんか。
この映画を見てもらい、その存在を知ってもらうことで、彼らの魂は救われるのだと思う、って。
彼らの死に、意味なんか持たせちゃダメなんだ。
あの洞窟の中で過ごしていた彼らの日常に意義なんかあっちゃいけないんだ。
全くもってなにも残らなかったという映画でこそ、彼らの存在が知ってもらえると思うんだけど。

アメリカでは反戦映画だと思われてるみたい。
でも、私はそれは違うと思うんだ。
メッセージなんて何もない映画だよ、これは。
限りなく淋しい映画でいいと思う。
そしてそこから、自分なりの解釈で、戦争はいやだと思えたらきっといいんだ。
review - movies | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0)
年の初めの原点確認
2007年になりました。なんだかんだ言って、卒業の年です。早かったね。

でも実は長かったという気はあまりしないです。

最近将来の身の振り方を考えては、ちょっと落ち込んだり、というか、悩み込んでしまうことが多く、不安なこともたくさんあります。でもやっぱり私が知っている私は、私はこんな人間なんです、それの一体何が悪い、というモードに入っていけたなら無敵に素敵に生きていける人間だと思う。なりたい自分を知っている、納得の出来る自分を目指して努力が出来る、という点では、抽象的だし、比べるものでもないと思うけれど、負けないと思う。そういった、自分について考える、自分を客観的に見る、という点においては、とても排他的で、わき目もふらずに自分を大切に出来ていると思う。自分に嘘がつけないのは、そういうところからきているんじゃないかな。自分を常に考えていて、でもそれは自己中心的という意味じゃなくて、大衆の中に自分という確立したものを築くために必要な私なりの努力なんだと思う。

誰かと繋がっていたい、同じものを見て、同じものに感動して、常に何かを分かち合っていたい、と切実に思う一方で、けれど誰とも違う自分でありたい、と思う自分。これは私が思い出せないくらい昔から戦ってきた二律背反で、ささやかではあるけれど年を重ねれば重ねるほど、人間、このジレンマからはどう足掻いても抜け出せないのだと思い知るばかり。このバランスばっかりは、自分でうまくとっていくしかないんだなぁと試行錯誤中。でも訳も分からず、常に右に倣って右のものを見て、右と同じ考えをもとうと努力しているより、右を向こうか左を向こうか迷いに迷って、そしてその迷いの末の感想を持って、感動を味わっている人間でありたいと思うから、結果として自分が感覚や感情という点で一人ぼっちであっても、それこそが誰とも違う自分である証であるから、そこは強く強く、踏ん張って頑張って受け入れるしかないんじゃないだろうか。

今年も単純なことに素直に幸せになれる人間でありたい。少しの偶然からの励ましから、今日も明日もがんばれる人間でありたいよ。

まっすぐにいこう19巻の早乙女直のような友人であれますように。

そして自分らしくあることを、独り善がりと履き違えることのない、視野の広い人間でありたいと、2007年はじめるに当たって、わたくし、そう思っております。
日常雑談 | 13:35 | comments(0) | trackbacks(0)
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